名前を呼んで



図書委員の仕事で図書館へ行くと、必ず見かける先輩がいた。
その人はいつも窓際の席で一人ポツンと座って、何やら難しそうな分厚い本を読んでいる。
作業をしている風を装って近くを通ってみても、彼はちらりとも俺を見ない。
俺だけじゃなく、誰が通っても無関心のようだった。
ただそこにいるだけなのに、何故かとても気になる存在。
名前は何というのだろう?
何年生でどのクラスに所属しているのだろう?
気になることはたくさんあるけれど、面と向かって聞くことができない。
テニス部の先輩に聞いてみたが、何も分からなかった。


「……またいる……」


入学して三カ月以上経つが、俺が図書館へ行った際に彼を見なかったことは一度もない。
夏休みに入って一週間が経つ今日は月に一度の図書整理の日で、丸一日図書館の利用が出来ないはずだった。
それなのに、朝、指定された時間に図書館へ入ると、彼はいつもと同じ席でいつもと同じように本を読んでいた。
委員の誰かに聞いてみようと思っても、それぞれが忙しなく動いていて、少しでも手を止めると文句を言われてしまって、聞くことができない。
仕事が終わってから聞いてみようと思い、俺は作業に集中した。


「……そこのテニス部一年」


書架と図書室の間を大量の本を持って何度も往復していると、不意に聞き覚えのない声に呼び止められた。
この忙しい時に誰だ、と思って見てみると、窓際に座っていたあの先輩で俺は驚いた。


「……何スか?」


「その上から三番目にある本見せてくれ」


彼は俺が持っていた本を指さしていた。
先ほどまで読んでいた本はいつの間にやら読み終えていて、机の上にのせられていた。


「はぁ?」


「ほら、早くしろって」


急かされて、俺は本を机の上に下ろすと、指定された本を抜き取った。


「……これッスか?」


「そう、ありがとう。あ、これ戻しておいて」


先輩は俺が差し出した本を受け取ると、机の上の本を指さした。
そして、俺の返事を聞かずに本を読み始めた。
俺は机の上にあった本のタイトルと分類番号を確認して、本の山の一番上に積んだ。



* * * * * * * * * *



しばらくして、昼休憩の時間になった。
普段、図書館内は飲食禁止だが、今日だけは特別だと司書の先生が許可を出したので、委員はそれぞれ机に持参した昼食を出して食べ始めた。
あの先輩はどうしているだろう、と思い見てみると、変わらず窓際の席にいて、持参していたらしい弁当を広げていた。
しかし、彼に近づく生徒は一人もおらず、彼は一人で昼食を取っていた。


「ねぇ、先輩」


俺はこの機会を逃すまいと、先輩に近づいた。
机の上に弁当を置きながら声をかける。


「ん?ああ、テニス部一年か」


先輩は弁当を食べる手を止めて俺を見上げた。


「……俺、越前リョーマって名前があるんスけど」


「うん、知ってる」


「じゃあ、何でテニス部一年って呼ぶんスか」


「テニス部一年も間違いじゃねぇだろ?」


「そうだけど……って、そういうことじゃないッスよ」


納得しかけて、その理屈がおかしいことに気付く。


「自己紹介してねぇんだから、俺たちは知り合いでもない。名乗ってもいない相手が自分の名前知ってたら気持ち悪くないか?」


「……じゃあ、先輩の名前教えて下さいよ」


「人に名前聞く前に自分が名乗れよ」


「俺の名前知ってるんスよね!?」


「知ってるけど知らない。さっきも言ったように、自己紹介してねぇからな」


段々頭が痛くなってきた。
一体この人は何をしたいのだろうか。


「……一年二組越前リョーマ。これで良いッスか?」


「よく出来ました。俺は三年一組。まあ好きなように呼んでくれ」


先輩は何やら偉そうにそう言った。


「三年一組……って、手塚部長と同じクラス?」


「うん。ちなみに三年間同じクラス」


必要以上に言葉を交わしたことはないけどな、と言って先輩は苦笑した。


「ふーん……先輩は何でいつも図書館にいるんスか?」


「本が好きだから」


「……今日、本当は図書館の利用禁止だって知ってるッスか?」


「知ってる」


「じゃあ、何でいるんスか?」


「本が読みたいから」


「……別に学校の図書館じゃなくても良いんじゃないんスか?」


「俺、生まれつき体が弱くて、あと半年生きられるかどうか分かんないんだとさ。だから行ける内に学校に来てんの」


「え!?」


何でもないことのようにさらっと深刻なことを言われ、何と言ったらいいかわからず戸惑う。


「なんてな。半年云々っていうのは嘘だけど、体が弱いことはホント」


「タチの悪い嘘つかないで下さいよ!!」


「ハハ。生意気なだけかと思ってたけど、意外と良い奴だなお前」


「……ムカつく」


「アハハハハハッ。お前、表情がくるくる変わって面白い」


先輩は腹を抱えて笑いだし、あちこちにいる委員の視線を集めた。


「笑いすぎッスよ」


「悪い悪い。……俺さ、ガキの頃から体が弱くて、しょっちゅう入院してたんだけど、入院生活ってホント暇なわけ。で、暇つぶしに勉強してたらいつの間にか大学卒業レベルまで勉強しちゃってて、学校の授業がつまんねぇんだよ」


だから学校にいる間はずっと図書館で本を読んで過ごしてるんだ、と言った。


「そんなことが許されるんスか?」


「許されてんの。定期試験受けて、レポート出すだけで良いってことになってるんだ。……まあ、しょっちゅう発作起こすし、その度に授業中断させることになるから、俺が教室にいたら逆に迷惑かかるんだよ」


「……どこが悪いんスか?」


「ココ」


先輩はそう言って自分の胸を示した。


「胸……心臓?」


「そう。激しい運動さえしなければ日常生活に支障は無いんだけど、周りが気ィ使うだろ?それがストレスになるから教室にいると発作が起きるの」


「じゃあ、何で保健室じゃなくて図書館なんスか?」


「わざわざ保健の先生に本運んでもらうのは申し訳ないだろ。だから俺が自分で図書館に来てるんだよ」


「ふぅん……」


「それに、ここは滅多に人来ねぇし、図書委員のやつらも俺のこと知ってるから、変に関わろうとしないんだよ。だから、俺に話しかけたのはお前だけ」


この人と話をしたのは俺だけ、というのが何だか嬉しかった。
何故、そんな風に思うのかは分からないけれど、もっともっとこの人のことを知りたいと思った。


「そろそろ昼休憩終わるんじゃねぇ?」


先輩はいつの間にか弁当を食べ終わっていて、何気ない風にそう言った。
俺はハッとして、時計を見上げ、慌てて弁当の残りを平らげた。


「図書委員、集まって」


それを見計らったかのようなタイミングで図書委員長が号令をかけ、俺は弁当を片づけてカウンターへと戻った。
作業を再開しながら先輩の方を見ると、彼は何事もなかったかのように本を読んでいた。
さっきまで話していたのが嘘のように、チラリとも俺を見なかった。


(そういえば……)


自己紹介をしたのに、先輩は俺のことを名前で呼んでくれなかった。
俺はちゃんと“先輩”と名指しで呼んだのに。


(名前、呼んでくれないかな……)


テニス部一年、じゃなくて。
リョーマでも越前でも良いから、彼に名前を呼んでほしい。
名前を呼んで、俺のことを見てほしい。


「リョーマ」


本の山を抱えたとき、どこか楽しげな声が聞こえた。
ハッとして顔をあげると、先輩が満面の笑みで俺を見ていた。


“リョーマ”


これほどまでに名前を呼ばれて嬉しいと思ったことはない。


「何スか、先輩」


嬉しいと思った自分が恥ずかしくて、素っ気ない風を装って先輩に近づいた。


「その本見せて」


そう言って楽しそうに笑う先輩は綺麗だった。


(ずっとこの時が続けば良いのに……)


そう思った。




*おわり*



+あとがき+


攻主書くつもりが受っぽくになりました;;
しかもリョーマが変。
八周年、今年も大幅に遅れてしまいましたが、これからもよろしくお願いします。