第三十話



とある町のとあるマンションに着き、俺は目的の部屋に向かった。
部屋の前に立ち、インターホンを押そうとしてはたと気づく。
そういえば、俺は氷帝の制服姿だ。
どうしたものかと考えた挙句、そのままでいることにした。


――――ピーンポーン


「はーい」


中から可愛らしい声が聞こえて、玄関のドアが開かれた。


「あらぁ、ちゃん。久しぶりね」


「こんばんは、優紀ちゃん。仁いる?」


ドアから姿を現した女性はあの亜久津仁のお母さんだ。
どこからどう見ても十代後半〜二十代前半にしか見えないが、実年齢は三十歳を超えている。
うっかりオバサンなんて呼んだら、満面の笑顔で裏拳が飛んでくるので、呼び方は“優紀ちゃん”じゃないといけない。


「仁は今おつかいに行ってもらってるのよ。とりあえず上がって」


「そっか。お邪魔します」


俺は優紀ちゃんに促されるまま部屋に上がり、リビングへ向かった。


「何か飲む?あ、お夕飯食べていくでしょう?今日はビーフシチューなの」


「うん、ご馳走になります。あ、優紀ちゃん。俺、着替えたいんだけど、仁の服借りて良い?」


「良いわよ。好きに使って」


「ありがと。ちょっと着替えてくるね」


俺は仁の部屋に向かい、勝手にクローゼットの中から服を出して着替えた。
着ていた制服は丁寧に畳んでリビングに持って戻る。


「お茶で良かった?」


リビングでは優紀ちゃんがお茶の用意をして待っていた。


「うん、ありがとう」


ソファの脇に置いた鞄の上に制服を置いて、ソファに腰掛けた。
その様子を優紀ちゃんがじっと見ていた。


「ところで、ちゃん。どうして女の子の制服着てたの?」


「え……あー……親父の趣味?何かいつの間にかこんなことになってたんだよね……」


どう説明したものか、俺は簡単にこれまでの経緯を話した。


「へぇ〜そうなの。……あ、仁にも見せてあげれば良かったわね」


「仁は知ってるよ。この間、道端で偶然会って……」


高校生に絡まれているところにバッタリ遭遇したとは言いづらい。
済んだことで仁が叱られてしまうのは申し訳ないので、黙っておくことにした。


「あら、そう。仁ったらちゃんに会ったって話してくれれば良いのに……」


優紀ちゃんはお茶をすすりながら拗ねたように言った。
と、その時、玄関のドアが開く音が聞こえた。


「あ、帰ってきたわ」


優紀ちゃんが玄関の方を見て言う。
程無くして荒々しい足音が近づいてきた。


「ババア、買ってきたぜ……?」


仁はパン屋の袋を掲げながら俺を見た。


「おかえり、仁。ちゃん、遊びに来てくれたのよ」


優紀ちゃんが袋を受け取ってからキッチンへと向かった。
それと入れ替わりに仁がソファに座る。


「……その服、俺のじゃねぇか」


仁は俺の姿を見て眉を寄せた。


「制服のまま来ちゃったから、借りたの。優紀ちゃんは良いって言ってくれたし」


「制服……ああ、あれか……」


仁は呟きながら鼻で笑った。


「仁!!お皿運んでちょうだい」


「チッ」


キッチンから優紀ちゃんに呼ばれ、仁は舌打ちをしながら立ち上がった。


「俺も手伝おうか?」


「お前は客だろ。おとなしくしてろ」


仁に冷たく言い放たれ、俺は素直に従った。



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+あとがき+

主人公は亜久津母子と仲良しです。