第七十話



十二月二十五日、朝九時過ぎ。


「いってきまーす!!!」


家中に響き渡るくらい大きな声で叫び、父さんが見送りに出てくる前に玄関を飛び出した。
ジャージを着ていないので、見られると困るからだ。
家の側にあるバス停からバスに乗り、忍足との待ち合わせの駅へ向かう。
駅に着き、バスを降りると、駅前ロータリーはカップルばかりだった。


「……さすがクリスマス……」


小さく呟き、ロータリーの中央にある大時計を見上げる。
針は九時四十分を指しており、約束は十時なので、まだ少し時間がある。
辺りを見渡してみるが、忍足はまだ来ていない。
通行人の邪魔にならないよう端の方に寄り、忍足が来るのを待った。


「う……」


時間が経つにつれ、心臓が飛び出しそうなくらい激しく打ち始める。
地面に目を落とすと、今度は自分の服装が気になり始めた。
変じゃないだろうか、男だとバレないだろうか。
そんなことが気にかかって次第に落ち着かなくなり、ふとトイレの看板が目に入る。
すると今度は、緊張と相まってトイレに行きたくなった。
時計を見ると、まだ五分しか経っておらず、俺はトイレに向かった。
外で女子トイレに入る恥ずかしさを感じている余裕はなく、空いている個室に入り用を足す。
そして、手を洗いに洗面台に向かい、鏡に映った自分と目が合った。
うっすらと赤く染まる頬が恥ずかしい。
手が痛くなるほど水で洗い、その手で頬を冷やす。
だが、時間が気になって、すぐやめた。
トイレを出ると、忍足の姿があり、ドクンと心臓が跳ね上がる。
私服姿の忍足を見るのは夏以来なので、とても新鮮だった。
ゆっくり近づくと、高校生くらいの女子二人組が、忍足の腕を取りながら何か話しかけているのが見えた。
ここからでは何を話しているかわからないが、近づく気にもなれない。
ナンパされているのだとわかるから。
最近、少しずつ背が伸びてきて、段々と男らしくなっていく忍足。
それに対して、俺は背も伸びないし、こんな似合わない女装をして必死に取り繕っている。
学校でも常に女子が騒いでいるから、忍足が外でも女の目を惹くことはわかりきっていた。
そんな忍足に、俺みたいな奴が近づくのは間違っているだろう。
そう思ったら、足が地面に縫い付けられたように動かなくなった。


「君可愛いね〜♪そんな泣きそうな顔して、どうしたの?」


横から見知らぬ男に腕を掴まれハッとする。
忍足たちに気をとられていて、男の気配に気づかなかった。


(しまった……)


中学に上がってから、こんな風に何かに気を取られて失敗することが増えている。
気が緩んでいる証拠だろう。


「……離してください」


忍足に気づかれたくなくて、声が小さくなる。


「何?聞こえねーよ」


腕の拘束から逃れようと身をよじると、今度は別の男が背後にいた。
後ろから抱かれる形になり、ますます逃げられなくなった。


「俺らとカラオケ行こうぜ」


強引に引っ張られ、足がもつれる。
バランスを崩したところで、横から誰かに支えられた。


「悪いんやけど、この子、俺のやねん。返してもらうわ」


聞き覚えのある関西弁に顔を上げると忍足だった。


「はぁ!?何だテメェ?」


「離せ、言うとるんや」


スッと忍足の目が据わる。
中学生とは思えない凄みにナンパ男たちが怯み、この俺でさえ恐怖を覚えて足が震えた。
その一瞬の隙に、忍足は俺をナンパ男から引き離す。


「……チッ、白けた。行くぞ」


俺の腕を掴んでいた男は、忌々しげに舌打ちをし、仲間を連れて逃げていった。


「大丈夫?さん」


先程までの凄みはとうに消え、いつもの穏やかな笑顔だった。


「う、うん。ありがとう……」


反射的にうなずき、礼を言う。


「ごめんな。さっき着いたばかりなんやけど、丁度、さんがトイレに入ったとこで、さすがにトイレの前で待つんはどうかと思って離れとったんや。こんなことなら近くにおれば良かったわ」


「ううん、大丈夫だから……」


頭を下げてくる忍足を制しながら、ふと先程の忍足の言葉が頭をよぎる。


「……さん?どないしたん?」


「……さっき、“俺の”って言った?」


「あー、気づいとったんか……あの時はああ言っといた方がええと思っただけやから、気にせんといて?」


ただのハッタリだったと言われ、付き合っていないのだから当たり前のことだけどガッカリした。


「……わかった……」


「ほな、時間も迫っとるし、行こか」


「うん」


先に歩き出した忍足の後に続く。
チクチクと痛む胸の痛みに気づかないふりをしながら……。



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少し長くなったので分けます。